なぜ、じゅくちょーは、教師にならなかったのか・・・

塾あるあるの1つだと思います。保護者の方や生徒にたびたび聞かれる質問です

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愛教大を出てるのに??

私は小5・6年生のときに、当時の担任に憧れて教師を目指しました

当時の担任の先生が、今思い返せば「問題教師」なんですがw今まで過ごしてきた先生よりも個性的で「え?先生なのに・・・こんなのアリなの?」というのが良い意味で衝撃的だったんだと思います

教師を目指すと母に告げたとき、地方出身だった母が調べたところ「教師になるなら、愛知教育大学ってところしかないよ」と言われたことで、教師になる=愛教大 になりました

(愛教大以外でも教師になれると知ったのは、なんと大学受験後、大学に入ってからでしたw)

愛知教育大学で教員免許を取得しましたが、同じ教育学を専攻している同級生は、ほぼ全員が教員になるなか、私は教師にならず塾で勤務する(塾講師)道へ進みました。そこから、なんやかんやあって(そこはまた別の機会に)塾を起業することになりました

教育実習で感じた「違和感」

 普通、教育実習を経て『教師になるぞ!』と思ったり『教師になる気なかったけど、教師になるわ!』という人が多いんですが、私は教育実習を経て「んーこのまま教師になっていいのか?」と疑問を持ってしまいました

 実習は中学と高校に行ったんですが、そこで

 ①社会の文化を教える際に、後ろで見学していた実習生を急に前に呼び、その場でモノマネをしてもらった

  (その時代の文化で、今でいうモノマネを楽しむ文化が登場したため)


 ②日本列島の授業で、班ごとに「リアル日本列島選手権」と題して、班のなかで1番うまい人を選んで、さらに黒板で

  班の代表が書き1位を決めるゲームをし

など、当時、塾講師のアルバイトをしていて、集団授業を任されていたこともあり、その場で思いついたことを授業に入れたり、塾で通用したアイデアを入れたりしていました

 しかし、実習が進むにつれて、そういった個性を抑えるような注意を一部の先生から受けました。それだけでなく、職員室や先生の日常の様子から、個性を出せる場があまりに少ないこともわかりました

 学校の現場って、個性は抑えられるところなのか。または個性を出そうとしていないだけなのか。もしくは個性の薄い人になってしまうところなのだろうか・・・

 悪く言えば「誰かに代わっても影響がない」のが学校の授業で、それが公教育なんだと・・・

 私は学校や教師を否定しているわけではありません
もちろん良い意味では「誰がやっても大丈夫」というわけで、安定感と安心感はあると思います

 しかし、私はそこに行きたくないと思ってしまいました。ここに行くのは、私じゃなくてもいい

もっと自分でないと出来ないことはあるはずだ・・・

 実習を終えて、私は自分にしか出来ないことを探しました


 その結果、こうして、今の私がいます

 その結晶が、塾屋そのものといえます

 

 もちろん、教師よりも安定していません。給与も昇給していきません。でも、私はこの仕事に誇りを持っています

 

 もしかしたら、学校の先生の中には

「塾屋みたいな指導がしたかった」「こういう塾があると助かる!」という思いでブログをご覧になる方もいるかもしれません

 

 学校の先生だけでなく、塾業界の方、学生、みんなが「この塾良いな」と羨ましく思える塾でありたいと思っています

 

 まだまだ「これがゴールだ」と思える状況には至っていませんが、この初心を忘れずに今日も向き合っているのは間違いありません

余談:決定打になったのは、この2つ!

「あ、やっぱり教師ダメだ」と思った決定的な理由が2つありました

1つ目は、私が免許科目にしていた「社会科」の教員採用試験の倍率です。私が記憶しているなかでは、当時、小学校や他の中学校の教科の採用倍率が4、5倍だったのに対して、社会科だけは10倍!!!!でした。高校に至っては50倍!!!

実際に採用試験の会場に行った時も、周りは20代後半や30代の人も多く、あちこちで「キミ、何回目?受けるの」「今年で6回目なんだよね。もう今年こそ受かりたいわ~」みたいな会話が聞こえてくるんです

『え?それなら、もし大学を卒業しても、当分、教師(非常勤ならなれるかもしれないけど)になれないんだ』と思いました

そこまで考えて大学入試時に教科選択をするはずもなく、教科変更ももちろんできないので絶望感がすごかったのを覚えています

もう1つは、ダサい話ですが・・・

朝が起きれない

これは大学生活が規則正しくなかったというのもあると思いますが、教師で当時は朝練もあったので朝7時に学校について朝練を見て・・・の日々を送れる自信がありませんでした

当時は塾でアルバイトもしていたので、バイト終わりが22時で、そこから講師仲間と話したりして帰宅が夜中2時とかザラにあった日々を送っていたので、余計に『朝から授業なんてムリだ』と思っていたんだと思います

まとめ

良いように言えば『教師になるために一生懸命やってきたからこそ、それを諦めた後、他の道に進んで頑張れた』のだと思います(まだ道半ばですが)

私はよく生徒に

「本気度=それを思っている期間×それに対しての行動回数」

だと伝えています

私の場合、教師がダメだと思う少し前から、塾講師としての経験(行動)回数が継続的にあったので、その道に行くぞっと切り替えることができたんだと思います

またどこかの機会で「なんで、塾講師→塾経営になったんですか?」も書きたいですね(^^♪

→書きました♪

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